体育館の周辺では彼らが試合前のアップを行っていた。
そのやり方を観察していると、僕が高校時代、バスケ部の連中がやっていたのと変わらない感じがした。
対面してのサイドステップ、小刻みにステップを踏んだ後にショートダッシュ・・・・。
面白かったのは、相変わらず彼らが掛け声をかけ続けていること。
「ほぉ〜ぜぇ!」「ハイッ!ホォッ!ハイッ!ホォッ!ハイッ!ホォッ!」(とか聞こえる)。
いつぞやは高松市内である高校のグランドのそばを歩いていると、野球部が隊列を組んでランニングをしながら「あちょぉ〜!あちょぉ〜!あちょぉ〜!そぉ〜れッ!イチニサンシゴォロクシチハチッ!」(と聞こえる)とやっていた。
僕の高校の野球部のそれと寸分違わぬ(と聞こえた)掛け声だったのに驚いたものだ。
合理的なスポーツトレーニング、いわゆる体育会系のスパルタ、不合理さを排除して「科学的に」トレーニングし、クラブを運営していったほうが良い、というようなニュアンスが語られるようになってもう何年、いや何十年経つだろう?
にもかかわらず、日本中の(おそらく)高校の、さまざまな種目の(おそらく)運動部で、いまだに行われているあの「掛け声」たち。
アレは(言語的には)一体どういう意味を持っているのだろう?(トレーニングの一環としては)どういう意味を持っているのだろう?
前者は、当初はたぶん何らかのニホンゴだったものが、何代にもわたって息をハァハァさせながら発声されていくうちに「訛って」現在のカタチになっていったのだろう。
後者は、練習に気合を入れる、とか、「なんか黙ってやってたらお葬式みたいじゃん」みたいな意見がでて「なんか声出せ!」みたいなことになったに違いない。
声出したことでトレーニングパフォーマンスが上がるのかどうか?
少ない例で恐縮だが、以前見たサッカーのフランス代表を追ったドキュメントフィルムでは、同代表は掛け声などしないで、なんか私語っぽいことボソボソしゃべりながらみんなでジョギングしてましたけど。
もちろん僕も30年近く前は、同じように掛け声かけてサッカーやってました。
面白いのは社会人とかになると、途端に声掛けしなくなるんだよね。
でも、僕が入っていた社会人のクラブは結構マジなクラブだったけど、声掛けなんかなくても、十分気合入れて練習してたし、声なんかなくても十分雰囲気は良かったけどねぇ。
「いやいや、高校生はまだまだ意識が低いから。ああやってみんなで声出ささないと、集中できないんですよ」てことですか?
だとしたら、なんか日本の画一的教育の発想が透けて見えるようですな。■
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