2007年06月08日

サッカー書評〜1974フットボールオデッセイ〜

issue107

1974フットボールオデッセイ

西部謙司著

双葉社


☆☆☆
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 昔、椎名誠がアホな(失礼!シーナさん)エッセイを書いていた。

プロレスというのはプロのレスリングであるからしてアマレスとは似て非なるものである。

で、大学の同好会なんかでアマチュアによるプロレスというのが存在するが、コレはさしづめアマ−プリレスなわけで、やはりプロレスとは趣を異にする。

もし、このアマ
-プロレスがプロ化したらプロ−アマ−プロレスで、やはり異なるコンテクストの上に成立するのである。そしてそれをアマチュアが真似し始めたらアマ−プロ−アマ−プロレスで・・・・・。


僕は本書を読みながら何故かそのエッセイを思い出していた。

虚と実の境界線の妙が本書の魅力だからである。

1974
年の西独W杯決勝は、世界のサッカー史において最もモニュメンタルな試合の一つである(内容的には大したこと無かったと僕は思っているが)。

本書はその試合の当事者たち、言わずと知れたクライフ、フォクツ、ベッケンバウアーなどの人物像、行動とその内面を描いた「小説」なのである。

確かに「小説」。

著者もそのつもりで書いているが、登場人物は実在の人物であり、彼等は行動した「事実」は、事実として紛れもなく存在する。

顔ぶれや筋書きの大枠は決まった上で、そこに至る水面下の心の襞や人物造型、細かな発言やエピソードといった部分がフィクションというワケである。

その意味で、モチーフはあるにせよ、登場人物やストーリーが基本的に丸ごとフィクションである従来型のサッカー小説とは大きく異なっている。

先に僕は、本書で事実とフィクションが並存している、という趣旨のことを書いたが、読み込んでいくと虚と実の境界線が、少なくとも読者からは判然としない領域が出てくる。

コレは取材に基づく事実として書いているのか、事実をベースに著者が膨らませた「虚」にあたる部分なのか?著者はそれを自覚的に書いているのか?

本書の魅力は、まさにこのあたりを深読みもしくは邪推しながら読めるというところにあるわけで、そこのところは歴史小説、とりわけ司馬遼太郎のそれを読む楽しみにも通じる部分である(司馬文学ほど格調高くはないけど)。


その意味で本書は、サッカーライティングに新しい分野を拓いたというワケで、いってみればノン−ノンフィクションというジャンルなワケで、これは明らかにノンフィクションとは一線を画すモノで、いずれこのノン−ノンフィクションの書き手をアクチュアルにルポしたノン−ノン−ノンフィクションが生まれてくるかも知れず、それはもはや、ノン−ノンフィクションとは別のジャンルであり、いずれまたそのノン−ノン−ノンフィクションの書き手について虚実織り交ぜたノン−ノン−ノン−ノンフィクションというのが・・・・。

エーイもう!!
「サッカー書評」は2001年10月より2007年4月まで公開していたwebサイトで、サッカー関連の書評103本を公開していました。

本ブログでは、issue104以降で新規の書評を公開していきます。

それ以前の分、issue1〜103については「サッカー書評アーカイブス」として、順次再公開していきます。
posted by 羽後 燦樹 at 17:02 | TrackBack(0) | サッカー書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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